大手クライアントを多数もつアッカ 袴田氏のインスピレーションの鍛え方

なぜデザイナーを目指そうと思ったのですか?また影響された人などいますか?

当時、親のような存在であった叔父が看板屋をやっていて、その影響もあってか、幼い頃から絵を描くのが好きでした。中学生の頃には恩師と呼べる人にも出会い、自然と進路もデザインや絵といった方向に向かいました。大学入学時は、なんとなくインテリアデザインを選択しましたが、いざ学校の授業を受けてみると講師は建築の方が多く、自分にはスケールが大きすぎる、堅すぎるという印象を受けました。だんだん授業はつまらないと思うようになり、当時買ったMacintoshの有効活用も兼ねて、グラフィックデザインのアルバイトを始めました。

そんな中、大学3年生のときに大失恋をしたんです(笑) その失恋をきっかけに「何かしなきゃ」と考えるようになりました。そこで大阪の南船場にあるお洒落な本屋さんでアルバイトをしようとしたら、今は募集していないと断られてしまい、代わりに同じビルの2階になるという設計事務所を紹介されました。

その事務所というのがインフィクスだったんです。デザイン事務所で働いたら周りより先を越せるかなというぐらいの考えでしたが、面談の際に間宮さんの作品の本を見せてもらったときに衝撃が走ったんですよね。これが自分のやりたかったことなのだと。

周囲の友人は大手の住宅メーカーに行きたがることが多いのですが、自分はもっと小さな規模のものを手掛けた気持ちがありました。インテリアデザイナーを志した大きなきっかけは、間宮さんのおかげであったと言えます。

2010年にオフィスを設立されましたが、過去の下積み時代、独立のきっかけ、その過程で苦労したことなどありますか?

デザインスタジオ アッカ・袴田氏

下積み時代の話ですが、大学4年の途中からリックデザインに入社し、大学を卒業後すぐ東京の支社に行くことになったのですが、方向性の違いにより、学生時にインターンをさせてもらっていた、間宮さんのいるインフィックスに戻らさせてもらうことにしました。その方向性というものは、インフィックスではトレンドで華やかな印象で小さな店舗を扱うことが多かったのですが、リックデザインではスケールが大きくて真面目な印象を受けていました。元々やりたかったのは前者だったので、インフィックスに行きました。

しかし独立のきっかけは偶然でしたね。ある時、インフィックスの中で一斉に先輩が辞めてしまった時期がありました。その時に取締役になり、東京を任せられるようになったのですが、2008年のリーマンショックで一気に不況になってしまい、かなりのスランプに落ちてしまいました。会社の経済力や経営力、個人のスキルも見直す機会となったのですが、大阪・東京・上海の支社の方向性が異なってしまって、それぞれ独立への道を歩むことにしました。

コンペで大手のアパレルの案件をとることができ、そこからなんとか繋いで、独立したという感じですね。スタッフもついてきてくれたので、独立をするときはとてもプレッシャーがありました。

今の袴田さんについてお聞きします。

どうやったらアイデアが生まれてくるのですか?インスピレーション得方や、引き出しの増やし方など工夫していることはありますか?

デザインスタジオ アッカ・袴田氏

現在はアパレルの案件が多いのですが、それだけをメインにしているつもりはなく、飲食も住宅もどんなジャンルであれやっていることは同じだと思っています。

引き出しを増やすために、少しでも隙間時間があれば、携帯やタブレットであらゆるアプリや検索ワードを使って画像を見ることを習慣化しています。とにかく大量の画像を自分のフィルターに通すんです。その中で自分の感情が発生したものを覚えておくようにしています。感性を養う訓練ですね。

現在のような情報社会の中では、その情報をうまく利用することが重要であると考えています。クライアントを納得させるいいプレゼンのためにもインプットは欠かせません。

インターネットや本から情報を収集することが大切な一方で、自分の肌でしか分からないことも多いので「実際にその土地に行ってみる」「気になったホテルに宿泊する」といった行動力も大切にしています。インスピレーションの鍵は、「情報量×行動力」であると考えています。

尊敬しているデザイナーはいますか?

好きなデザイナーさんは沢山いますが、この人になりたいと強く思ったりすることはあまりしませんね。やはり自分の理想を全て網羅している人は存在していないので、尊敬というよりは、その人の良いところを吸収していきたいと思っています。

デザイナーという言葉を聞くと、何か形をデザインするものという認識をしてしまいがちですが、実際は価値を生み出すのがデザインだと思っていて、アイデアひとつで世界や文化を変えてしまった、スティーブジョブズのような存在も憧れます。一回きりの人生なので、何事にもチャレンジをしていきたいです。

ビジネス面でお聞きしていきたいと思います。

スタッフのマネジメントや、社内でのコミュニケーションの取り方などで、気をつけている事などありますか?

スタッフのマネジメントの面では、スケジュール管理をしっかり行っています。リックデザインでの習慣がとても良かったので独立後も活用しているのですが、毎週月曜日の朝に、先週の報告や今週の動きを報告しあい、社員全員がどの人がどんな状況かというのを把握できるようにしています。月曜日に報告しなければいけないので、週末にはスタッフ同士で話し合い、報告の手はずを整えなければいけないので、必然的にコミュニケーションが生まれます。社員全員の場で報告しなければいけないので、スタッフ個人のプレゼンのスキルであったり、人前で話す能力も養うこともできます。

一度やめたこともあったのですが、共有不足や各々が勝手に判断をしてしまって、クライアントさんに迷惑をかけてしまうということがあったので、それからは徹底しています。

新業態に挑戦するときにはどういうリサーチ方法をとりますか?

引き出しの増やし方と似ている部分はあるのですが、情報をとにかく入れます。新業態の案件が来た時に調べるのはもちろんなのですが、普段から、何事にも興味をもつことが大切であるなと感じます。最近だとチョコレート屋さんを作って欲しいという案件が来た時に、10年以上前にフランスに行った時に撮った写真が役立ったりしました。今見ているものがいつか役に立つこともあるので、無駄なことは一切ないと思いますね。

海外での案件は扱われたことはありますか?

インフィックスの上海オフィスを通して、いくつかやらせていただいたことはあります。やはり言語の壁であったり、契約内容や向こうの感覚というものは、日本とは違うので、なかなか直接やり取りをすることはハードルが高いですね。(笑)

以前シンガポールから依頼が来たのですが、向こうからアタックされたのにも関わらず、シンガポールの案件をしたことがないからって断られたり、よく分からないこともありました(笑)

袴田さんのコレカラについてお聞きします。

20年後の自分はどうなっていますか?また、目標はありますか?

インテリアは続けていきたいですね。私はデザインはただ形にするのではなく、形のないものから価値観を生み出して作っていくものだと思っています。

ですから、ただ何かものをデザインするのではなく、例えば自分自身の生活スタイルが誰かの手本になったりする事も、価値の創出につながり、それも一種のデザインなのではないかと考えます。ですから、具体的な目標はないのですが、もっと違う何かをデザインしていきたいと考えています。

現在の業界の問題点と、あるべき姿とは何であると思いますか?

大きく分けて二つあると思っていて、一つ目は設計料の問題です。基準がないので、クライアントのデザインに対する認識であったり、価値観に左右されてしまいがちです。こちらが価値があると思っていてもそれが相手には伝わらないこともあるので、順応せざるを得ないのは実情です。おそらくどのデザイナーの方も悩んでいる点かと思います。上海では値切られるのが当たり前なので大変だという話も聞きます。

二つ目は、若い人が少ないという点です。今はインテリアデザインを学ぶ学生も学校も減ってきているので、ゆくゆくはいなくなってしまうのではないかという危惧があります。実際にインテリアデザイナーって何をやっているか分からないという声もよく聞くのですが、本当に難しいジャンルだと思います。しかしデザイナーという仕事は、人に夢を与える仕事で、スター的で華々しいものなのではないでしょうか。第一線にいる私たちが時代を変えていかなければいけないと思っています。

最後に

同年代で今勢いのあるデザイナーといえば誰だと思いますか?

意識はしていますが、同じことをしてはいけないと思っているので、あまり交流をすることはしていません。もちろん気にならないと言ったら嘘になりますが、自分に良いプレッシャーを与えてくれる存在として、「自分ももっと頑張るぞ」というプラスのエネルギーに変えています。

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