なぜデザイナーを目指そうと思われたのですか?影響された人などいますか?
実は高校は東大・京大を目指すような大阪の進学校に通っていたんです。文系を選択し親と同じ銀行員になる道を進んでいたのですが、大学受験で就職のことを考えた時に、自分のしたいことは銀行員ではないのではないかと思いました。将来について考えたとき、自分の手で何か形になるものを残したいと考え、芸術の道に進もうと思いました。ただ、親にお金を払ってもらって塾に行っていたので、大学に進学する時に学力を生かすことができる建築の道に進むことにしました。
大学に入ってからは、岸和郎先生のゼミに入り仲間から多くの影響を受けました。また、バックパッカーで1ヶ月半ヨーロッパ1周建築旅行をし、その際にダニエル・リベスキンドのユダヤ博物館の「祈りの間」というところを訪れました。そこには窓はなく天井に一本だけ切込みがあり、そこから光が差し込んでくるという構造で、扉を閉めた瞬間、それまでざわざわしていたのが嘘のように、観光に来た人だれもが静まり返り天井から差し込む光を見あげたんです。その状況を体験したたとき鳥肌が立ち、自分も一生のうちに一度でもいいからこんな空間を作りたいと思いましたね。
大学卒業後 ー大学卒業後はタカラスペースデザインに入社されていますが、どのような経緯だったのですか?
大学卒業後いくつかの会社を受けましたが、タカラスペースデザインに入社しました。当時タカラスペースデザインにいた熊沢さんという方の建築物がよく商店建築に載っていて、今考えると浅はかですが、この会社に入れば一緒に仕事ができると思ったからです。(笑)
あとは、面接方法が変わっていたということもありますね。他の会社は段階を踏んで面接していくと思うんですけど、タカラスペースデザインは一発勝負なんです。しかも、1時間自由に喋るという面接内容でした。卒業設計のプレゼンをしましたが、20分ほどで終わってしまうので、残りはひたすら自分の今までの経験を話し尽くしました。受けた次の日にはもう合格通知が届いていて、おもしろい会社だなと思い、入社を決めました。後から聞いた話なんですが、面接の時に見ていたのはフィーリングだけだったそうです。(笑)
独立のきっかけ また、はじめはどのように仕事を得たのですか?
元から30歳で独立することを決めていました。将来のビジョンを考えたうえで、逆算していくと30歳が1番いいと思ったからです。
独立して最初の仕事は、タカラスペースデザイン時からのお客さんでした。
長くお付き合いさせていただいているnanas green teaさんは、大学の同級生から紹介してもらったんです。その後もずっと付き合いがあるのはコスト感覚が合っているからじゃないかなと思います。知り合いのアーティストの方に協力してもらって費用を抑えるなど、出来る限りの工夫をし常に要望に応えるための努力をしています。そういったこともあって、幸い技術とデザインが総合的にすごく優れていると言っていただいています。色々な方と不思議な縁があって、お仕事を一緒にさせていただいていることが多いですね。
ここからデザインについてお聞きします。
どのようにデザインのアイデアが生まれてきますか?引き出しの増やし方などにおいて、工夫していることはありますか?また、店舗におけるデザインの役割はなんだと思いますか?
ネタ帳などはもっていませんし、何のストックもありません。いつも、依頼がきたらスタッフ全員でまずは市場調査し、その業態のことを調べます。そのあと、そのお店にふさわしいコンセプトを決めるために、言葉遊びのように単語を出し合って、「美しい」と思える一言を選び出していきます。そうして、コンセプトを決めてから、それを表現していくために全員でデザインするんです。
デザインをどう工夫すれば決めたコンセプトを表現することができるかを考えていくので、ネタが枯れるという感覚をスタッフもあまり持っていないと思います。スタッフの意見が採用されることももちろんあります。美しい言葉がでたらその意見を採用するようにしています。なので、コンセプトとデザインが社内で別々の人ということもよくありますね。
また、店舗のデザインは、店舗の店員さんやオーナーさんの考えなどの想いがお客さんへ届くようにするための手段だと考えています。何を思って、どういうことを提供したいのかを表現するのが空間をデザインするということなのかなと感じています。
吉田さんのビジネス面についてお聞きします。
クライアントとの信頼関係の築き方やスタッフのマネージメント等、意識されていることはありますか?
お客さんとの信頼関係の築き方については、スタッフにもよく言うんですが、デザイナーが作りたいものを一方的に作るのではなくお客さんの要望を聞きすべて叶えたうえで美しいものを作るように言っていますね。なるべく全部受け入れることで信頼関係を築くことができていると思っています。
もう1点、お客さんの予算内できっちり仕事をすることも気をつけています。もともとタカラスペースデザインが設計施工の会社ということもあり施工の金額の知識もあるので絶対に金額は抑えるようにしています。金額を抑えないと次の店舗を出せなくなってしまい今後付き合いがなくなってしまうこともありますからね。
スタッフのマネージメントについては、人との付き合い方など多くのことを教えるようにしています。特に、職人さんへの接し方は注意しています。どんなにいいデザインをしても職人さんのモチベーションが高いか低いかでクオリティが変わってきます。職人さんへのものの頼み方や接し方ひとつで変わってしまうので、全員に気を付けるよう徹底しています。仕事は現場が命ですからね。現場を大切にしているからこそ現場で職人さんと直接話をすることも多いですね。
コンペや設計料など、業界で問題とされている点について、どのように考えていますか?また、コンペは基本的に受けられないそうですが、なにかこだわりを持っているのですか?
昔は、お客さんの知識が全くなくて困りましたが年々良くなっていると思います。働き始めた頃は、お客さんに間接照明がなぜ必要なのかというところから説明していましたが、今はそういった説明を求められることもなくなりましたね。
また、職人さん不足は問題だと思います。私も職人さん不足で困っているという会社をよく聞きます。うちの会社は、仕事をいつも依頼する職人さんがいるんですが、単価が以前より2~3割高くなっていますね。
コンペは嫌いというわけではありません。お客さんと多くの時間を共有しコンセプトを決める十分な時間とコミュニケーションをとれないことが、コンペをあまり受けない最大の理由ですね。自分のデザイン方法は、はじめにお客さんとコンセプトを決める作業から行うからです。
なぜお客さんと一緒にコンセプトを決めることをするかというと、建築やインテリアのプロジェクトは最終的にはどうしてもお金が絡んできてしまうからです。どんなプロジェクトでも最初に計画していた案を大幅にカットしていくので、目標となるコンセプトを共通認識として決めておかないと、目的から逸れていってしまうことがあるんです。コンセプトさえしっかり決めておけば、案をカットしていく作業さえも、日本刀を研ぐように内装を洗練させる作業に昇華することができます。
また、コンペだとお客さんにとってのデザインは人から与えられたものになってしまいます。私たちが大切にしている、お客さんの意見を聞きながら協力して1つの建物を作っていくことが難しいのであまりコンペには参加してませんね。
吉田さんの将来の展望をお聞きしたいと思います。
20年後の自分はどうなっていますか?また、目標はありますか?
世界中で仕事をしていきたいと思っています。日本だけでなく、できるだけ多くの国でプロジェクトを経験していきたいです。今も海外の仕事をしていますが、どの国にもそれぞれ違いがあります。それがすごく刺激にもなって、デザインを引き出すことにもつながっています。国や文化が違えば色ひとつとっても求められるものが異なるので、そういうところに面白さを感じますね。
海外での経験があることで生み出すことのできる色の配色があり、全く違う海外の色の配色を日本でもなじむよう工夫し変えていくこともしていきたいです。世界中で仕事をしないと生み出せない色やデザインがあるからこそ、できるだけ多く海外で仕事をして文化を吸収することで自分の中の引き出しをたくさん作っていきたいと思っています。
中国・シンガポール・マレーシアとアジアで仕事をしたことがありますが、今後は、ヨーロッパ・アメリカ・アフリカのどこの地域でも与えられた仕事をこなしながらその場所でしか得られないデザインの違いを学び自分のものにしていきたいです。