なぜ建築家を目指そうと思ったのですか?また影響された人などいますか?
小学校の頃から海外の遺跡を本で見るのが好きで、いつか建築に携わりたいと思っていました。実は、大学ではデザインの勉強はもちろん、遺跡の研究もしていました。何千年前もの建造物が、長い時を経ても人に影響を与えるというところに魅力を感じます。私もそういう建築を作りたいと思っています。 “奥行きの深さ”” を感じました。その時受けた感銘が今でも残っていて、”シンプルではなく、複雑なモノ”をつくることが好きなのだと思います。
影響を受けた人は、旧ソ連のアンドレイ・タルコフスキーという映画監督です。巨匠の中の巨匠なのですが、時代性や批評性や芸術性など、どれも兼ね備えた監督でした。そのため、映画監督と建築家のどちらになるか迷った時期もありました。美術セット等には建築の要素もあり、そのうえ物語もつくり、画面構成も考える、なんでも取り入れられる映像に魅力を感じました。しかし、映像業界は急激な技術革新により誰もが参入できる業界になってしまうと考え、映画監督ではなく建築家を選びました。
また、人だけでなく常に自然や環境からもインスピレーションを受けています。学生時代は海外を放浪しながら色々な経験をしました。中東へ行った時には、近くでバスの爆破事件が多発した関係で、下着を脱がされるくらい入念なボディチェックを受けるという、日本ではできない体験をしたりしました。(笑)
大学卒業後すぐに独立されていますが、独立のきっかけ、その過程で苦労したことなどありますか?
きっかけというものは特になくて、ただ自分の意思で何かやりたいという思いが強かったからです。すぐに独立することのメリットは、業界の縛りを感じることが無かったので、純粋に人が何を求めているかを考えることができたことだと思います。
とはいえ、技術的な部分は周りの人たちに支えていただきました。今でも知らないことは沢山あるので、日々勉強をしています。
また、独立当初はクライアントとコミュニケーションがうまく取れず苦労することもありましたが、一つ一つの案件を丁寧にこなすうちに自然と信頼関係をうまく築けるようになり、どんどん人の紹介でお仕事の依頼が来るようになりました。
海外での活躍も目立ちますが、はじめはどのように仕事を得たのですか?
日本のコンテストに入賞するようになった5,6年前あたりから、ふと海外のコンテストにもチャレンジしてみようと思い応募したところ、書類審査を通過、プレゼンを経て、国際アワードでの最優秀賞をいただきました。その海外での入賞をきっかけに、海外のお仕事を紹介してもらうことがとても増えました。コンテスト後の交流会で直接一緒に仕事をやらないか、と声をかけてもらったのが海外で仕事をはじめることになったきっかけですね。
落合さんのビジネス面についてお聞きします。
クライアントとの信頼関係の築き方等、気をつけていることはありますか?
とにかく、クライアントのことを本気で理解し、本気で仕事をすることです。クライアントが汗水垂らしてかき集めたお金を使って、ものづくりをするのですから、こちらも本気で相手の仕事のことを理解して一緒に作り上げます。それが、クライアントに真摯に向き合うということだと思っています。
独立当初からこの気持ちを大事にして仕事をしてきました。だからこそ、私の仕事は人からの紹介が多く、自分自身も尊敬できるクライアントさんから依頼をいただけるのではないかと思います。
コンペや設計料など、業界で問題とされている点についてはどういう風に考えていますか?
そもそも世の中全体が、本気で人の役に立ちたいと思うような社会になれば、設計料などの細々とした問題は自然と解決されるのではないかと思っています。
また、私たち建築家やデザイナーの仕事は、クライアントや施工会社の方がいなければ成り立ちません。今人手不足の叫ばれている施工会社、職人さんにもっとスポットライトが当たるべきなのではないかと思っています。ですから、私も施工会社はなるべく若手、同世代のところと一緒に仕事をしています。作り手と一緒につくることは非常に大切だと思います。以前、塗装作業を職人さんと共に最後までやりきったときは驚かれました(笑)
また、ある店舗を手がけている時に、天井にアルミの装飾を取り付ける作業があったのですが、思い切って懇意の電設屋の岡本さんという方にお願いしました。電設屋さんだと普段から手を伸ばして作業をすることに慣れているのではと思ったからです。今まで電気の取り付けが中心だったのが、それを機に一緒に作品を作り上げるパートナーに変化しました。このように既存の考えにとらわれず、未知なるものや方法を開拓することは、もっと必要だと思います。
落合さんの将来の展望をお聞きしたいと思います。
20年後の自分はどうなっていますか?また、目標はありますか?
日本の国力が衰退していくのは見たくないという気持ちがあり、そうならないためにも、本当にデザインが必要なところ、手間がかかってあまり集まらないところの仕事をしていきたいと思っています。
例えば、地方をもっと盛り上げていきたいですね。現在、箱根の街のプロジェクトに関わって取り組んでいるのですが、住んでいる人たちが、自分の村や町に誇りをもてるような街を作っていきたいです。そうした社会を作るのに、アート・デザイン・建築の垣根はないと思います。